2007年12月08日

サムライ社会的性能主義

先ほどの記事からの続きです。



フォルクスワーゲンというクルマの出自は

あのヒトラーの国民車構想にある

というのは割と有名な話です。

悪名高いヒトラーの残した遺産として

高速道路アウトバーンとともに

数少ない評価の対象となっています。



「わが闘争」の日本語翻訳を角川文庫で

斜め読みした限りではヒトラーの政策「民族主義」は

ヒエラルキーの崩壊を目指したようにも思えます。

あまりの強硬政策にファシズムと呼ばれましたが

ここで重要なのは貴族社会のヒエラルキーの崩壊を目指した

イタリアや最初から貴族的ヒエラルキーを持っていない日本と

三国同盟を組んだことです。



ドイツ、イタリア、日本。

世界的自動車生産において覇権を持つ国です。

ドイツは戦前に貴族社会の恩恵を受けたメルセデスというか

ダイムラーベンツが戦前から根強く生き続けていますが

その実、BMWもVWも戦後の成長していった会社です。

そしてドイツのメルセデス以外の会社は

その復興のために必ず大衆車を生産して行った。

VWのビートル、BMWのイセッタ、メッサーシュミット。

そして淘汰、統合を繰り返し今の業界を形成する。

この状況は日本のトヨタ、日産、三菱、スバルも同じようなものです。



自動車も時計も戦前は富裕層が大きな顧客でした。

第二次世界大戦の後、

ヨーロッパではこれらは一度、大衆の手に渡ります。

高額なことには変わりないのですが

それでも何とか手に入れることのできるものになりました。

ヒトラーの数少ない評価される政策のおかげです。



ヒトラーについては諸説ありますが

大衆を扇動し武力で他の勢力に対抗したということで

平たく言ってしまえば「軍閥」であろうと考えられます。

やはり「軍閥」はサムライに通じ

性能のみを追求している節があります。

ヒトラー政権下でのナチスドイツは性能のみを追求しすぎた結果

タイガー戦車や列車砲などいびつな兵器を数多く排出していますが。



兵器、軍装、政策から端を発したブランドであるVWは

性能追求により生まれたビートルにより世界的に評価をされ

特に歴史が浅く貴族がいないアメリカ合衆国で爆発的に流行しました。

そして30数年の長きにわたり生産され続けることになります。



ビートルの頃に比べ民衆の経済が底上げされてくることにより

ポロ、ゴルフ、パサートなどラインナップを増やし

自動車生産という面ではドイツでトップになったVW。

どんなに上級車種をつくろうとも決して高級とは言わない

メーカー姿勢はやはり大衆に向いてのクルマ作りを

行っているからでありその面では性能のみに特化しているから

といえない事もありません。

グループ企業もアウディ、ポルシェなど性能を売りにしている。



アウディもVWによる買収後、ポルシェ博士の孫である

ピエヒの設計によるクアトロシステム以降

ヨーロッパでは速いセダンメーカーとして浸透しています。

ロバート・デニーロ主演の「ローニン」という映画でも

そんな台詞により武器取引に使うクルマに

アウディA8を選んだりしています。



アウディ、ポルシェ、そしてVWのこのグループは

ヒトラー時代の「軍閥」としての性能第一主義を脈々と受け継ぐ

いわばサムライ社会の職人のようなグループで

その総帥は言うまでも無くポルシェ家。

メルセデスの戦前の糧となった貴族社会のヒエラルキーの

恩恵を受けていない。



実際、今のドイツ車は貴族社会のヒエラルキーから逸脱できたからこそ

成長できたともいえなくは無いのですが。

それでも少なからずヒエラルキーの中にメルセデスはいます。



富裕層が増えてきたと言われる昨今ですが

貴族的ヒエラルキーの中にいる富裕層一定量なので

この増えた富裕層というのは大衆からのし上がってきた人々。

この人々の審美眼は貴族的社会にいた人々とは少し違うようで

クルマにしても時計にしても性能から考える節がある。

ことクルマに関してはその傾向が顕著。

性能に見合った上でブランドイメージがあって初めて購買に結びつく

というのが最近の傾向であろうと考える。

ヒエラルキーにどっぷりと浸かったイギリスメーカーが

次々とドイツ資本に買収され、その後急成長するというのが好例。



VWはベントレーを買収しました。

BMW時代に大きなテコ入れをできなかったラインナップに

セカンドセグメントとしてコンチネンタルシリーズを投入。

今までのヒエラルキーで考えるとセカンドセグメントは

トップセグメントよりも控えめな出力という不文律がありましたが

これをあっさりと壊して12気等に510馬力というエンジンを

トップセグメントに比べていささか小さなボディーに載せてきた。

そしてこれが大ヒット。

そしてこれに飛びついたのが大衆からあがってきた富裕層。

ベントレーを年産8000台のメーカーにのし上げた。



いまやドイツ資本に買収されたイギリスブランドのどれもが

属するセグメントを越えた性能で製品を作る。

これをドイツに侵されたと見る向きもありますが

サムライ社会的になったと、僕は考えています。



時計にしても同じ流れになってきているのではないかと考えるのです。

好例はLVMH。

ゼニスとホイヤー。LVMHによる買収前までははっきり言って

マーケットはかぶっていたのではないでしょうか。

この2社は軍装を開発しており以前から性能面では

少なからず文句の無いポジションにいた。

そして買収後、ゼニスはエルプリメロという

わかりやすい性能を持っていたのでセグメントを上げてきた。

デファイのファーストモデルなんて貴金属を使わずに

1000万円越えのモデルを出してきた。

高性能=高級=貴金属というヒエラルキーイメージの打破。

そしてホイヤーは買収前から持っていたスポーツイメージで

確実に上へとマーケットを上げてきており

そのステップポイントには必ず36万振動やV4などの

性能を誇示するものを提示する。



ブライトリングもやはり軍装開発をこなしてきたメーカー。

既存のヒエラルキーで言えば下からと言わざるを得ない。

それが性能をあげてきたことにより売り上げを増加させるという

方向性に向き、全製品COSC取得などという大英断の元に

現在の地位を気づいているといえるのではないでしょうか。



それらを見ているのかどうか、それは定かではありませんが

最近はどのクルマメーカー、時計メーカーも

性能を掲げてきているように思えます。

その性能の差別化がETAムーブからの脱却に見える気がします。



このようなことも含め、大衆からあがってきた富裕層には

サムライ社会的な性能主義がわかりやすい

ひとつの指標であるのだろうと

GT-Rやスプリングドライブなどで感じたのです。



話的にはつじつまが合っていなかったり

飛躍しすぎていたりということはありますが

雑感ということでご容赦を。

posted by 北森 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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